ひきこもりちゃんの部屋

 

私は、12歳から15歳の三年間、ほとんど学校に行けず、外に出られず、家にいました。
ひきこもりでした。
演劇を知って、好きになって、外に出られるようになりました。

暫くして、劇団を作りました。
演劇をずっとやり続けられる場所をつくるためです。

劇団を立ち上げた次の年に、ひきこもりのお話を作りました
私のような人や、ひきこもりの人が近くにいる人が、前向きになるための何かになればと思いました。
でも、わからないという声がたくさんありました。
こんなのお金をとれるものじゃないと言う人もいました。
「金返せ」と言われたので、そのお客さんに何故ですかと聞くと、その人は「私はひきこもりになったことがないからこの話にはなにも共感出来ない。これはあなたの自己満だ」
と言いました。

凄くショックでしたが、そのときの私は「そうかもしれない」と思いました。
多くの人は、ひきこもりの人ではないし、ひきこもりの人が周りにはいない。共感出来ないから楽しめないのか・・。

私はその人の感想と、お客さんの言葉で、誰でもわかりやすい話を作らないと、と方向転換を計りました。

書きたいことより、お客さんがわかってくれることを目標にしました。

それから「わからない」という感想が怖くなりました。

いくらわかりやすく、わかりやすくと作っても、
「わからない」
という感想は毎公演ありました

私はわからない地獄に落ちました。

私のつくるものは、もう誰もわからないのかもしれない、と悶々しながら作り続けていました。

疲れてしまいました。

もう作れないかもしれない。

と思っていたとき、知り合いの知り合いの息子さんの話を聞きました

その子は高校生で、中学生のときから不登校で、外に出られなかったけれど、私の話を聞いて、舞台を観に行ってみたいと言っていた、と。

私はその子のために作品を作ろうと思いました。

その子は見に来てくれました。

私は嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。

自分と同じようにひきこもっていた子が、國吉咲貴が頑張ってる、なんていう小さな理由で外に出てくれた

私が劇団を始めたときの目標が、一欠片だけ叶った。

胸が熱くなりました。

劇団を作ったときに否定された、私の自己満が、やっと、やっと、形になって、自己満だけじゃなくなってきた。

ほんのちょっとだけ、体が軽くなった気がしました。

劇団を作った当初からこっそり胸の中に掲げていた目標のために動きだしていい時期が来たのではないか、と感じたため、このページを作りました。

劇場で、作品を見て笑ってくれる人が、もっともっと、増えるように、楽しいものをたくさん作っていきます。

外が怖い人、人が怖い人、家から出られない人が、家を出たり、生きることが楽しくなるための一歩になりますように。


國吉咲貴

「ひきこもりちゃんのある日」